「綿柎開」和棉花が開花しました

  • 2015.08.24 Monday
  • 23:13
綿柎開今朝、温和堂のベランダ菜園の和棉が開花しました。
暦をひもとくと昨日8/23は立春から数えて二百十日目、二十四節気の「処暑(しょしょ)」、生活暦の七十二候の第四十候「綿柎開(めんぷひらく)」にあたる日でした。 
「綿柎開」。柎は”はなしべ”と読み、綿実のできる子房を覆う花萼(がく)の別名。棉(わた)の本来の種蒔きどきである五月に種まきをしたものは、暦通りに綿柎が開いています。温和堂の和棉の種まきは6月頭と周回遅れとなったため、いまようやく花を開いたという具合です。受粉し、綿柎が開くまではあと数日ほど必要でしょうか。
地球上に太陽の光が最も長く降り注いだ夏至の日(6/22)から約60日が経とうとしています。会津和綿の綿花日照時間は次第に短くなり、朝晩の気温も涼しくなり、徐々に季節は秋そして冬へと移ろいでいきます。夏の太陽光を享け成長した棉は、初秋に
柎を開き、綿実のなかで種を成熟させ霜がおりる10月ころに綿花の収穫となります。
右手の2枚の画像は8/21撮影の、柎(はなしべ)が開いた綿花。和綿在来種を復活栽培の試みをされている千葉・市川の畑で育った会津綿(右)と鳥取・伯州綿弓ヶ浜(左)の綿花。
温和堂のプランター菜園で開花した和棉も伯州棉の弓ヶ浜です。
自然農のお仲間から、種を分かち合いして頂きました。
種をお分けいただいた直後に、ナマケモノ倶楽部さん主催のコットンレボリューションというワークショップがあることを知り、わた紡ぎと糸繰りの会に参加しました。その会で初めて、和棉の綿花は下を向いて付くこと、そして和棉にはほかの地域の綿花よりも多く油脂分が含まれることを知りました。多雨の日本の風土において未熟なたねが流出してしまわないように和棉が環境適応した結果なのだそうです。(椿も同じように油分で自らを多雨に適応させています。ベランダ借景 冬編:椿
実は和棉の栽培は明治期に一度ほぼ消滅したということを知りました。江戸時代各地で工夫され盛んに栽培されていた和棉でしたが、明治維新後、特に明治29年1896年に輸入綿花の関税が撤廃されるや競争力の弱い和棉栽培は一気に衰退していったそうです。(調べると1896年というのは、欧米諸国では第二次産業革命によるモノ余りの大不況の終盤期にあたります。この関税撤廃は日本に綿製品の販路を求めたという流れなのでしょうか。) 

温和堂の手元に届いた棉のたねも、近年栽培復興され始めた自家採種のたねでした。日本各地に辛うじて残された和棉のたねを復興栽培されている千葉の鴨川和棉農園さんの和棉を通してわた布団の復興活動をされている親松寝具店さん栽培のたね。とても詳細な和棉のブックレットもたねと一緒に温和堂に届きました。いつかどこかでお会いできるとよいな、と思っていましたら、なんと8/21のコットンレボリューションのワークショップで親松さんご本人とお会いすることができました。
不思議なご縁に喜びながら親松さんにお話を伺っていましたら、昔は女の子が生まれたら庭にわたを植えたのだそうです。
綿花を採ってわたを紡ぎ糸を繰り、を毎年繰り返していくと、女の子がお嫁入りするころには立派な布団が用意できたのだそうです。布団はそんな大切な嫁入り道具だったため、火事のときは布団を抱えて逃げたのだそうです。

8/21のコットンレボリューションのお話は、私たちが生きることについて考えるよい機会でもありました。また項を改めてしたためさせていただきます。

 
リンク
親松寝具店さんの和棉布団の活動について   http://futon-support.jimdo.com
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